熊野古道資料・道と日記・記・御幸など |
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西暦 |
時 代 |
歴代天皇 |
年 代 |
道と日記・記・御幸など |
649 |
飛鳥時代 |
孝徳天皇 |
大化5年 |
熊野参詣道を作る、和林之を作る (年代記)。(注、大辺路のこと) |
684 |
飛鳥時代 |
天武天皇 |
天武天皇12年 |
12年甲甲、去年(イに13年)行幸式定大辺路の道路を、中辺路に定む。(後文略)(年代記) |
806 |
奈良時代 |
平城天皇 |
大同元年 |
「新抄格勅符抄」本宮と新宮の祭神の最も古い史料 |
907 |
平安時代 |
醍醐天皇 |
延喜7年 |
宇多法皇(上皇・法皇の参詣のはじめ) 扶桑略記 |
1081 |
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白河天皇 |
永保元年 |
為房卿記の熊野詣(大御記)日記 |
1082 |
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白河天皇 |
永保2年 |
扶桑略記 |
1083 |
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白河天皇 |
永保3年 |
「熊野御幸略記」 熊野別当三綱大衆解 |
1090 |
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堀河天皇 |
寛治 |
熊野日記「中右記」、藤原宗忠 |
1125 |
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崇徳天皇 |
天治2年 |
女院の参詣はじめ |
1134 |
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崇徳天皇 |
長承3年 |
長秋記 |
1167 |
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六条天皇 |
仁安 |
兵範記 |
1174 |
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高倉天皇 |
承安 |
吉記 |
1201 |
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土御門天皇 |
: 建仁元年 |
御幸記(熊野道之間愚記) 明月記に収められている 藤原定家 |
1210 |
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土御門天皇 |
承元4年 |
修明門院熊野御幸記 |
1229 |
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後堀河天皇 |
寛喜元年 |
頼資卿熊野詣記、藤原頼資 |
1254 |
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後深草天皇 |
建長 |
経俊卿記 |
1281 | 鎌倉時代 | 後宇多天皇 | 弘安 | 上皇の熊野御幸やむ |
1427 |
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称光天皇 |
応永34年 |
北野殿熊野詣日記 |
1446 |
室町時代 |
後花園天皇 |
文安3年 |
看聞日記 |
1682 |
霊元天皇 |
天和2年 |
熊野案内記 寺内安林 |
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1815 |
江戸時代 |
光格天皇 |
文化12年 |
大田南畝の半日閑話に書工汝圭が文化12(1815)年5月玄厚に宛て大和、紀州に遊びたる消息を報じた書簡をを収む。 |
1840 |
仁孝天皇 |
天保11年 |
湯峰温泉の日記 長沢伴雄 |
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1859 |
孝明天皇 |
安政6年 |
熊野日記 熊代繁里 |
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1860 |
孝明天皇 |
万延元年 |
南遊志 斉藤拙堂 |
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注、上記は、年代など確認中で、誤記もあると思うので、信用しないで下さい。 |
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「梁塵秘抄」は平安時代後期 「醒睡笑」は安楽庵策伝が隠居後に若い頃から集めていた笑話を元和9年(1623)にまとめたもの 「いぬほし」は10世紀後半〜11世紀前半 「作善日記」 元仁2年(1225)〜仁治2年(1241) 藤原実重 「日本九峰修行日記」 野田成亮 年代は調査中 |