明治22年水害 朝来村円鏡寺より不動坂を望む

 明治22年水害 岩田村三宝寺方面より朝来平野を望む

 明治22年大洪水現況実記誡(三宝寺所蔵)

 上の写真などは上富田町史編中を参照した。


  明治22(1889)年8月19日県下大水害被害甚大

 連日の豪雨により県下各河川の洪水は古来未曽有にして、ことに富田川、会津川流域の被害甚大。本支流の漲溢居舎人畜を漂わす。また残忍を極め田宅の全てものなきに至る。

県下の死者千二百四十七人、流失倒壊家屋七千五首余戸、浸水家屋三万三千余戸、橋流失九百三十一、船舶流失二百四十七隻、牛馬二百二十余頭、耕地宅地流失七千余町歩、堤防決壊千七百七十余ケ所、などの記録あり。

 この水害で瀬戸の北裏の浜に凛着した死体で遂に身元の判明しない十余遺体は田尻、白浜、崎の北海辺の草地に仮埋葬したと伝えられている。

 明治22(1889)年8月20日小学校舎修理

 未曽有の水害のため、瀬戸小学校校舎宮の舞台の家屋破損の箇所多く之を修理する。入費七十五円五十銭。

 参考文 白浜町 明治編